飛行機を降りた後、健司は変わらず、せわしなく弥生の荷物を運んでいた。弥生は二人の子供を連れているだけで、彼女の周囲には、大柄なボディーガードたちが複数付き添っていた。かつての誘拐事件を警戒しての配慮だった。健司はスーツケースを押しながら後ろに付き従い、出口が近づいたところで、そっと声をかけた。「霧島さん、おかあさまとおとうさまは出口のところでお待ちです。もうすぐお会いになります」その言葉に、弥生は小さく頷いた。「うん」そう答えてから、彼女は身をかがめ、子供たちに優しく語りかけた。「ひなの、陽平、聞こえた?もうすぐおじいちゃんとおばあちゃんに会うのよ。ママが飛行機の中で話してたこと、覚えてる?」「うん、覚えてる!」「心配いらないよ、ママ。ひなのとお兄ちゃん、ちゃんと礼儀正しくするから!」子供たちは元気に約束してくれた。ボディーガードたちに守られながら、彼らは空港の出口へと進んだ。その頃、空港の出口では、瑛介の母は小さな鏡を取り出し、しきりに自分の顔を確認していた。そして何度も鏡を覗いた末、やや不安げに夫に尋ねた。「ねえ、私、今日のメイク、ちょっと派手すぎるかしら?子供に会うのに、これじゃよくない?」それを聞いた瑛介の父は、ちらりと彼女を一瞥して答えた。「いいんじゃない?子供って、こういうの好きだろう」「なにそれ?子供がこういうメイクを好きって、あなた、子供の気持ちが分かるみたいな口ぶりじゃない」「......いや、分からないけどさ。君も分からないんだろ?だったら、気にする必要ないじゃないか」確かに、子供と大人の美的感覚は違う。そもそも彼女のメイクが派手か地味かなんて、子供にはわからない。ただ、大人だと認識してもらえれば、それで十分だろう。そう考えると、彼女の肩から少し力が抜けた。だが、すぐにまた別の不安が襲ってきて、彼女は鏡をバッグにしまうなり、夫の腕をつかんで語り出した。「しかし......やっぱり弥生って子はすごいわよね。一人で五年も海外にいて、しかも二人も子供を産んで......私たちには何も言わなかったなんて」その言葉に、瑛介の父は目を細めて言った。「......それで、君は何が言いたいんだ?」「何って、決まってるじゃない。全部、あのバカ息子のせいよ
「やった!」ひなのは思わず弥生に飛びつこうとしたが、ここは飛行機の中。二人ともシートベルトを締めているため、それは叶わなかった。そこで弥生は手を差し出し、ひなのにぎゅっと握らせて、その喜びを共有した。「ママ、寂しい夜おじさんはもう知ってるの?」彼、知ってるのかな?弥生はふっと微笑み、穏やかな目元で首を横に振った。きっと、彼が日本に帰ってきたら、わかる。「そのうち分かるわ」「じゃあママ、おじいちゃんとおばあちゃんって優しい人? 寂しい夜おじさんのパパとママのこと?」「そうよ。とても優しくて、話しやすい方たちよ。心配しないで。彼らは......」弥生は少し言葉を選んでから、静かに続けた。「......あなたたちの、本当のおじいちゃんとおばあちゃんなの」その言葉に、ひなのの目がまんまるに見開かれた。「ほんとうの......おじいちゃんとおばあちゃん!?」「うん」弥生はひなのの頭を撫でながら、隣の陽平にも目を向けた。「ひなの、陽平。ママの言ってること、わかる? 寂しい夜さんは、あなたたちの本当のパパなのよ」陽平はすぐにコクリとうなずき、納得した様子だった。しかし、ひなのはしばらく考え込んだあと、ふいに大きな瞳で言った。「でもママ、前に言ってたよね? ひなのと陽平のパパは......もう死んじゃったって」近くでそのやりとりを聞いていた健司も焦っていた......これは、さすがに気まずい。弥生もさすがにバツが悪かった。健司がいなければ、子供たちにもっと丁寧に説明できたのに......でも、もう仕方ない。五年前、まさか自分が瑛介と復縁するなんて、思ってもいなかった。あのときの自分は、ただ心に正直に生きていただけ。そう思い直した弥生は、わずかに微笑んで言った。「うん......生き返ったの」彼の口元がぴくりと引きつった。もし相手が弥生でなければ、間違いなくこう言っていた。さすがにそれは無理がありませんか?死んだって言っておいて、今度は「生き返った」って......案の定、二人の子供は固まってしまい、ぽかんと弥生を見つめていた。その様子に弥生は思わず吹き出し、ふたりの鼻を指でちょんとつついた。「冗談だよ。信じちゃったの?」「もう、心臓止まるか
帰りの飛行機は、行きのときとはまったく違う気持ちだった。とはいえ、どちらも良いとは言えなかった。唯一の慰めは、行きも帰りも、子供たちが常にそばにいてくれたことだった。健司は瑛介からの連絡を受け取り、搭乗前にすでに子供たちの件を両親に伝えていた。その知らせを聞いた両親は、しばらくの間、言葉を失っていた。長い沈黙の後、ようやくこう言った。「すぐに戻るわ。あなたたちの便は何時? 空港まで迎えに行く」健司はこの言葉を弥生に伝えたが、それを聞いた弥生は少しばかり気まずそうな表情を浮かべた。それもそのはず、彼女はこの五年間、宮崎家とは一切顔を合わせていなかった。今さらどう接すればいいのか自分でもわからなかった。健司は彼女の胸中までは読み取れなかったが、その表情を見て察するものがあった。彼女があまり嬉しそうに見えなかったため、健司はおそるおそる尋ねた。「霧島さん、社長がおっしゃっていました。もし不安やご心配があれば、いつでも私にお知らせください。この件は、途中で中止していただいても構いません」思いもよらない言葉に、弥生は目を見開き、健司を見た。「途中で......中止?」健司はうなずいた。「はい」「でも、もう話したんでしょう? 今さら中止なんて......先方をがっかりさせるだけじゃないの?」「ええ、確かにお伝えしました」健司は頷きつつも、はっきりと言った。「ですが、社長はおっしゃいました。一番大事なのは霧島さんのお気持ちだと。もし不安や不快に感じられるようであれば、そのときは中止して構わないと。すべての判断は霧島さんに委ねるとのことです。後のことは、すべて私が対応いたします」まさか、そこまで徹底してくれていたとは......弥生はふっと唇を持ち上げて、かすかに微笑んだ。「不快ってことはないわ。ただ......最後に会ったのは五年前。久しぶりすぎて、どう接したらいいか分からなくて」そんな答えが返ってくるとは思わず、健司は思わず顔をほころばせた。そしてすぐに、安心させるように続けた。「霧島さん、ご安心ください。先日、おばあさまとお話した際には、あなたのことをとても気にかけておられました。いろいろとお尋ねになっていましたよ」「......本当?」彼女は、かつて何も告げずに姿を消
三人が話す声が、ドアのすぐ外で聞こえた。弥生の耳には、扉越しにその声がはっきりと届いていた。彼女は一瞬動きを止めて、そっと瑛介を見上げ、小声で言った。「もう出ないと......」その言葉の途中で、瑛介がふいに身を屈め、彼女の顔にぐっと近づいてきた。彼の温かい吐息が頬にかかり、唇が彼女の唇の端に触れた。低くかすれた声で囁いた。「......もう一回だけ、キスさせて」その言葉と同時に、彼は弥生の反応を待つこともなく、再び唇を重ねた。「んっ......」弥生はまたもやキスされてしまい、押し返す暇もなく、思わず声をもらしてしまった。でも、その声が扉の外まで聞こえてしまうかもしれないと思い直し、慌てて喉の奥でその声を飲み込んだ。焦った様子で、彼の胸元に手を置いて制止しようとした。子どもたちと健司がすぐ外にいるのに。こんな時にでも彼は大胆だ。弥生は内心呆れながらも、外に聞こえる音を気にして、身動きすらできなかった。「健司おじさん、ママどこ行っちゃったの?」ひなのの声が外から聞こえた。健司は辺りを見回し、警戒した表情を浮かべていた。弥生の姿が見えないことで、彼は一瞬、弘次の仕業かもしれないと疑念を抱いた。そのとき、少し先に閉ざされたままの部屋のドアを見つけた。ピンと来た。「おそらく、ママは何か忘れ物を取りに戻ったんだよ。荷物は持って、外で待っていよう」そう言って、健司はとっさに判断し、子どもたちを連れて外へ出ようとした。しかし、ひなのは納得できずに聞き返した。「ママ、何を取りに戻ったの?私たち、手伝わなくていいの?」「大丈夫、ママ一人で十分だと思うよ。さあ、行こう。外で待とう」そう言うと、健司はまるで子どもが引き返すのを防ぐように、ひなのを抱き上げ、そのまま外へと連れて行った。その一方、部屋の中の弥生は、キスを受けながらも、外の気配にずっと神経を集中させていた。そのせいで、キスもどこか上の空だった。ようやく外の気配が遠ざかっていくと、弥生はホッと息をつき、緊張が少しだけ解けた。そのとき、彼女の腰に触れていた彼の手が、柔らかいところをつまんだ。弥生は反射的に目を開け、彼を睨みつけた。「......また、集中してない」その責めるような声に、弥生は恥ずかしくな
「出発する前にね、ひなのと陽平が、『いつ寂しい夜おじさんに会えるの?』って聞いてたわ」弥生は彼の胸に顔を埋めながら、小さな声でそう言った。「......うん」瑛介は短く応じ、それから言葉を継いだ。「......今回はもう会わない」その言葉に、弥生は彼の胸元から顔を上げ、不思議そうに見つめた。「どうして? 私には会いに来たのに、ついでに子どもたちにも会えばいいのに」瑛介は目を伏せ、真剣なまなざしで彼女を見つめたあと、彼女の赤く染まった唇にそっと口づけた。「帰国してから会うよ。でも、そのときには......呼び方を変えてくれてたら嬉しいな」弥生は唇を噛み、言葉を返さなかった。「......やっぱりダメ?」彼は彼女の額に頬を寄せながら、掠れた声でささやいた。「あれだけキスしてたのに......それでもダメ?」最初は、弘次への対抗心でいっぱいだった。でも、さっきのキスのあとでは、不思議とそんな嫉妬心は消えていた。彼女の反応と、寄せてくれた身体の温もり、それだけで十分だった。あとは、自分がこの地の問題を片付けて、無事に帰国できれば、家族4人での生活が始まるはずだ。そう思うと、自然に唇の端が上がった。「帰ったら、うちの両親も会いたいって言ってて......先に一度、会わせてもいいかな?」彼女が答えないのを見て、瑛介はすぐに自分の態度を引き締めた。「もちろん、無理ならいいんだ。今の話はなかったことにする。親にも何も言わない」彼女が何を気にしているか、彼はちゃんとわかっていた。彼女はずっと、誰かに子どもを奪われることを恐れていた。だから、彼女が嫌がることは絶対にしないというのは彼の答えだった。弥生は一瞬言葉を止めた。自分は何も言っていないのに、彼はもう先に身を引いた。昔の彼だったら、こんなふうに低姿勢になることなんてなかったのに......そう思うと、弥生はふっと息を吐いて言った。「......私、何か言った?」「ん?」「まだ何も言ってないのに、勝手に先回りして答えを出すの?」この話になると、さっきまで彼女を強く抱きしめていたときの余裕などすっかり消え、まるで別人のようだった。「......だって、君が嫌がるかと思って」瑛介は静かに答えた。そしてふ
だが、その人物は彼女の意図に気づいたかのように、弥生が声を上げる前に素早く手を伸ばし、彼女の口を覆った。「ん!」弥生は声を出すことはできなかった。部屋の中は明かりが点いておらず、暗闇に包まれていた。扉も閉じられ、窓から差し込むわずかな街灯の明かりで、目の前に立つ背の高い人影がかろうじて見えるだけだった。誰かは判別できなかった。手足を抑えられていて、動くこともできない。やがて、相手は口をふさいでいた手をそっと離した。その隙に、弥生は声を出そうとしたが、その前に彼が素早く身を屈め、唇を奪った。熱くて荒い呼吸が弥生の顔に降りかかり、彼女はようやく、その香りに気づいた。この匂いは......驚きが心をかすめたが、思考する暇もなく、唇が押し開かれ、キスはさらに深くなった。絡み合う息遣いの中には、お互いの体温と匂いが充満していた。そして、弥生はその中に強いタバコの匂いを嗅ぎ取った。瑛介......タバコを吸ったの?彼、いつもは吸わなかったはずなのに。どうして?唇に痛みが走り、弥生は我に返った。すると彼が、彼女をドアに押しつけたまま、低い声で訴えた。「こんな時にまで、よそ見してた? ......彼のこと考えてた?」彼を誰のことを指すのか、弥生は一瞬戸惑った。しかし彼の唇が再び強く覆いかぶさってきたことで、ようやく気づいた。彼女が誰のことを考えていたのか、瑛介はわかっていたのだ。だが、その問いに答える暇もなく、キスはさらに激しく、強引に深くなった。首筋を高く持ち上げられ、完全に受け身の姿勢で、そのキスを受け入れるしかなかった。「ん......」息ができない。弥生は苦しくなって、無意識に彼の胸を押し返そうとした。だが彼はまるでそれを望んでいたかのように、弥生の手首を握って自分の背後へと回し、彼女に自分の腰を抱かせた。そうして、弥生は彼の腰に腕を回す形で、抱きしめさせられた。キスはまだ終わらない。ようやくそのキスが終わると、弥生は自分の鼓膜が水に沈んだような感覚に襲われ、頭が真っ白になっていた。足も力が抜けて、彼の腕に支えられなければ立っていられなかった。彼はまだ耳元で荒く息を吐いていた。その音がだんだんと激しくなり、弥生の頬は真っ赤に染まった。......キスだけな